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2012年01月28日

「うつろな目の少女」その1

「うつろな目の少女」の正体は「オカッパの少年」だったと琉球新報が

狼魔人日記、カテゴリー「オカッパの少年」として記事がたくさんあります。
ある画像を入手できたので狼魔人日記の補足として書いてみます。

うつろな目の少女というのは
「うつろな目の少女」その1
この写真のことです、「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真となりご存知の方も多いと思います。(1945年6月撮影らしいです)
この写真を見ると確かに右腕を負傷し吊っている少女が確認できます。

「この写真に写っているのは私だ」と名乗り出た方がいらっしゃったのです。
しかも男性。
教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる2007年8月25日琉球新報
「うつろな目の少女」その1
「沖縄がいつまでもバカにされたままでいいのか。沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴える大城盛俊さん=那覇市天久の琉球新報社

 「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。24日、琉球新報社を訪れた大城さんは、史実を歪める教科書検定の動きに「教科書が嘘(うそ)をついて、その嘘を教えられた子どもたちが大きくなったらどうなるのか」と懸念し、憤りで声を震わせた。
 表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。
 大城さんは、1945年4月1日の米軍の沖縄本島上陸後に家族と玉城村のガマ(壕)に避難したときのことを鮮明に記憶している。そこには200―300人の住民がいた。5月下旬、日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。殴られた右目は失明した。
 数日後、大城さんは米兵に助けられた。同写真は診療所の前で撮影された。(略) (深沢友紀)


>「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」
とありますが、意味が分かりますか?
昨年の防衛省関係者を囲んだオフレコ会談だと
「やる」=「ヤる」=「犯す」とマスコミは理解しそうなので
「男の子は兵隊に犯されるから女の子になりすましなさい」ということになり
女の子よりも男の子の方が危険だという認識からすると
米国にはよほど男好きの兵隊が多かったのではないかと推測されます。(笑)
(樺太等にソ連が侵略してきたときにはかなり多くの女性が暴行をうけているそうです)

琉球新報の「スクープ」記事により「悪逆非道の日本兵」を告発する「語り部」としてのお墨付きをもらった大城氏の講演会のチラシ。

「うつろな目の少女」その1クリックしていただくと拡大します

「うつろな目の少女」大城盛俊さん、沖縄戦を語る-石垣で平和講演会
「うつろな目の少女」その1

沖縄戦でアメリカ兵が撮影した写真「うつろな目の少女」で知られる大城盛俊さんを講師に迎え、平和講演会「沖縄戦で起きた本当の話」が6月21日、石垣市民会館中ホール(石垣市浜崎町)で行われた。(2008-06-24)


少女と思っていた人物がなんと男性だったと琉球新報が報じ、石垣まで行って講演を行っています。

しかし、狼魔人日記読者からの情報で、嘘がばれてしまいます。

つづく



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Posted by ヒロシ@tida at 23:06

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