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2012年01月29日

「うつろな目の少女」その2

「うつろな目の少女」その1の続きです。


狼魔人日記2009年4月6日記事続・沖縄戦の女装の少年、地元紙も知らなかった女装の謎

沖縄タイムス 2008年8月29日 連載「教科書改ざん ただす」(6)
1第部 体験者
大城盛俊さん(75)“うつろな目の少女” (8月29日朝刊社会面)
傷癒えぬ県民 怒るべき
 「『集団自決』も日本軍による住民虐殺。自分自身や祖父母、親が受けた戦争体験が消されようとしている。県民はもっと怒るべきだ」
 日本兵から受けた暴行、食料の略奪、そして右目の失明—。旧玉城村出身で、米軍撮影の“うつろな目の少女”の写真で知られる兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)は六十二年前の体験を振り返り、怒りで声を震わせた。
 一九四五年五月末、当時十二歳の大城さんは、戦火を逃れ、玉城村のガマに家族や地域住民ら約三百人と隠れていた。そこに銃を持った六人の日本兵が現れ暴行された。リュックサックに残されたわずかな食料を奪おうとした日本兵に「これは渡せない」と拒んだためだった。
 ガマの外に引きずり出され、軍靴でけられ素手で殴られた。意識がもうろうとする中、さらに無理やり立たされて暴行を受けた。充血した右目は腫れ上がり、右肩は脱臼、瀕死の重傷だった。捕虜になり、米軍の治療を受けて傷は癒えたが、右目の視力は回復しなかった。
戦後、別々に逃げていた母がスパイ容疑で射殺されたことも聞かされた。
 「軍は国を守っても住民は守らず、殺害した。当時は敵に見つかったら男は戦車でひき殺され、女は強姦されると言い聞かされてきた。『集団自決』の犠牲者も自らの意思で死んだわけではない。死に追い込んだのは日本兵だ」
 大城さんも敵に捕まることを恐れた。伯父から「女の子に成りすましたほうがいい」と言われ、おかっぱ頭になった。診療所で米軍に撮影された写真は後に沖縄戦の本で使われ、教科書でも掲載されるようになった。
 その教科書から史実が消されようとしている。
 「県民大会の後は飛行機や船を総動員して大勢の県民代表を送り、政府や国会に直接抗議行動をするべきだ。黙っていることは歴史のうそを受け入れることであり、子どもたちにうそを教えることになる」と大城さんは訴える。
 現在、大城さんは修学旅行で沖縄を訪れる前の子どもたちの事前学習などで語り続けている。喉頭がんで声帯を失ったが人工声帯を付け、全国を回り、八五年から続ける講演は千百八十回を数える。「私は自らの体験を訴えて全国の人に沖縄戦の真実を語り続ける。県民も頑張ってほしい」(社会部・平良吉弥)◇


朝日新聞 2008年02月01日 ニッポン人脈記/沖縄の「少女」 これは僕
 1枚の写真が大田昌秀(82)の目をくぎ付けにした。
 おかっぱ頭の少女が血まみれで座りこみ、うつろな目をカメラに向けている。あの沖縄戦のなかを逃げまどったのだろう。
 大田は学生時代、鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員され、大勢の友を失った。戦後、琉球大学で教壇に立ち、米国の公文書館などで沖縄戦の資料を集める。
 そこでみつけた写真を「うつろな目の少女」と名づけ、本の表紙に使った。琉球新報に書いた連載をまとめ、77年に出した記録写真集『これが沖縄戦だ』である。
 与那原町でクリーニング店を営んでいた大城盛俊(75)は、この写真を84年に見る。内臓病で入院中、隣のベッドの患者が広げた地元紙にのっていた。
 その新聞をもらい、タクシーで新聞社に駆けつけ、大田の自宅を聞く。けげんな顔で玄関にあらわれた大田に紙面をつきつけた。
 「これは僕です」
 「でもあんた、男じゃないか」
   *
 大城は沖縄戦当時、12歳。「男の子は日本軍にひっぱり出され、何をされるかわからん」と案じた父のいいつけで、女の子のように髪を伸ばしていた。
 だが、なりすましてもムダだった。島がまるごと戦場になった45年6月、家族の食料を奪おうとした日本兵にとりすがる。「生意気だ。反抗するのか」。ひそんでいた壕からひき出された。こっぴどく殴られ、けられ、気を失う。右腕は脱臼、右目は失明。右足にいまも障害が残る。
 大田がみつけた写真は、米軍につかまった大城が治療されている時に撮られたものだった。「あんた、生きていたのか……」。大田は泣きだした。大城も涙する。ふたりはかたく抱きあった。
 大城は、沖縄戦の悲惨を語りつぐ「語り部」になった。全国の学校や平和団体を訪ね、1200回を超す。喉頭がんの手術をして22年前から人工発声器をつかう。低く聞きとりにくい声。生徒たちは息をころして聴き入る。
 「日本軍は『お前ら、アメリカにつかまるとスパイになるんだろう』と住民に手投げ弾を渡した。壕から出るときも、子どもを先頭に立たせて盾にした。沖縄の住民の敵は日本軍だったんです。そういう戦争を知らない人が歴史の教科書を書いている。情けない」(略)


3百人も隠れているガマのなかで女の子の格好をしている子が暴行を受けて家族や地域の方達はかばったりしなかったのでしょうか?
確かに右腕を吊っているのでけがをされている様ですが右目は失明する程の怪我があったようにはみえません。

「うつろな目の少女」その2「うつろな目の少女」その2

つづく



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Posted by ヒロシ@tida at 13:38

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