2015年01月09日 10:09
辺野古のフェンスに1番多く結わえられている横断幕は、「ニイガタG」と書かれたものです。
黒い布地に白い文字で描かれており、除去し処分するのに手間がかかると、除去された方から伺っております。
さて、以前から横断幕には寄付金について回ると、実際に貼り付けている活動家から聞いておりましたが、なんと領収書まで発行しているとのこと。
ようやく証拠を押さえました。
ここで出てくる篠原さんなる活動家は、辺野古ヘリ反対協議会のメンバーで報酬を貰いここに常駐しております。
新潟の近代史を考えると、極左と新潟は切っても切れないのです。これは私の曽祖父も噛んでいるので説明させて頂きます。大正時代の新潟市付近の農家は非常に貧しく、作物とれても小作料に払うのに苦しい状況が続きました。日本三大小作争議とも言われる『木崎騒動』というのが顕著な例です。小作農家は地主に対して大して小作料を免除を訴えましたが受け入れず、小作農家側は三宅正一・浅沼稲次郎らを招い徹底抗戦しました。小作農家は子供を学校に行かせない代わりに別の学校みたいなものを作って、子供はそこで勉強しました。そこで教鞭とっていたのが私の曽祖父です。結局小作側の要求が受け入れられませんでしたが、小作料の減免は認められ、この運動を後推しした日農は新潟県内でも有力な圧力団体になりました。従って新潟県内とりわけ新潟下越地方は日本社会党(今は民主党・社民党)が強い地域となっています。曽祖父が晩年「木崎騒動に社会党が来た段階で失敗した」と祖母らに語ったっていたそうです。
丁寧な解説、有難うございます。そんな歴史があったんですね。新潟出身の方には、宮古島や石垣島の人たちを沖縄本島の3倍もの重税(人頭税)がかけられていた(誰によってかは良くわかりませんが)のを、明治政府や国会に掛けあって島の人達を救った中村十作と言う方がいると、宮古島の方たちから教わりました。私も、残された人生の時間を、国のため、未来を担う人たちのために使いたいと、常々思っています。
大きな金額の収受は、基本「手渡し」でしょう。
証拠が残りませんので。
あと、このテントに中国人観光客が来ていることが何を示唆するのかを考えていただければと。