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2016年09月30日

作られた「人頭税」伝説

昨日9月29日の世界日報に沖縄大学 宮城能彦 先生の興味深い記事がありましたのでご紹介いたします。
作られた「人頭税」伝説20160929世界日報

沖縄の過酷な歴史誇張
通説を覆した安良城と来間
 昨年、来間泰男の『人頭税はなかった』(2015年・榕樹書林)という本が話題になった。
 人頭税とは、近世沖縄八重山地方にあった税制であり、ひとり当たりいくらという過酷な税に八重山の民衆は苦しめられた。しかも、明治政府の琉球処分以降も放置され、そのために八重山地方の住民たちはその取り立てに苦しみ、反対運動の末にようやく廃止されたというのが通説である。
 しかし来間によれば、「人頭税」という名称は明治の役人によって初めて名付けられたものであり、実際は「頭掛け」という名称であったという。「頭掛け」は、八重山地方だけでなく沖縄本島でも行われていた。主な税は穀物などの物納ではなく、多くは労働による「労働地代」であった。生産力が低く、台風の被害などで収穫も不安定なために、検地で算出された石高はほとんど意味がなく、そのために、村への課税を村人の頭数=人口で算出したので「頭掛け」と呼ばれたのであって、決して、一人一人に税を課していたのではなかったのである。
 かつて、宮古島に「人頭税石」という観光名所があった。高さ140センチくらいの縦に細長い石と同じ身長になると「人頭税」が課されたといわれ、観光地として有名であった。しかし、その「伝説」の信憑(しんぴょう)性が疑われるようになり、今では市による史跡や観光地のリストからは外されている。
 与那国島の久部良集落にも、久部良バリという岩の割れ目がある。幅は約3メートル、深さは7、8メートル。子供が生まれ人口が増えると税も増えるので、産児制限のために妊婦にその割れ目の向こう側に飛ばさせて、無事に飛べた者だけが子供を産むことができたという伝説である。無事に飛べた妊婦の多くも流産したという。
 久部良バリは私も何度も訪れているが、健康な成人男子でも無事には飛べそうにない割れ目である。とても史実とは思えず、早くからその岩は人頭税の過酷さを表現するために後から作られた物語であろうと言われていた。
 人頭税に関する伝説はその他にも幾つかあるが、それはどれも、史実に基づいたものではなく、後に作られた「伝説」ではないか。来間は私たちに「伝説」を基にした沖縄の歴史観の変更を求めている。
 『人頭税はなかった』を読むと、学生時代に沖縄の歴史を勉強していた頃に受けた大きな衝撃を思い出す。
 それは、安良城盛昭の『新・沖縄史論』(1980年・沖縄タイムス社)という本である。安良城は、東大の卒業論文である太閤検地の研究で学会の通説を書き換えたほどの天才であったが、彼が沖縄に赴任し沖縄の歴史を研究対象とするようになると、琉球・沖縄史の通説も重要な部分で書き換えが求められるようになった。
 最初の衝撃は、薩摩による琉球支配の収支が薩摩にとっては必ずしも黒字ではなかったということである。薩摩は琉球から搾取していたというのが沖縄史を考える際の前提であった当時、私にも、容易に受け入れられることではなかった。しかも、その通説を批判し、実証しているのがマルクス主義経済史の大家である。
 安良城は有名な「旧慣温存」論争でも史料を駆使して私たちの琉球史像を解体し再構築していった。「旧慣温存」とは琉球処分以降に明治政府の政策で、支配者層の懐柔のためにしばらくの間、琉球が行っていた租税制度その他の慣習を温存したとされることであるが、その目的も琉球からより多く搾取することだとされていた。しかし当時の史料を丁寧に読めば、むしろ明治政府の持ち出しの方が多かったというのである。
 納得できない私は、何度も何度も彼の本を読んだ。その中で学んだことは、歴史は単純ではないということである。
 沖縄の歴史が過酷であったことに違いはない。しかし、その過酷の内容と要因は単純ではなく、悪者による悪意の結果では必ずしもないこと、勧善懲悪的な歴史観では歴史的事実を見逃してしまうこと、歴史的事実は見る人の価値観によって見え方が大きく異なってしまうこと、などである。
 来間泰男の『人頭税はなかった』は私にとって2度目の衝撃だった。
 来間は、沖縄は「伝説」が作られやすい地域だと言う。その最たるものが「人頭税」伝説である。すなわち、沖縄の人々が、その時の支配者にいかに搾取され苦しんできたのかという歴史の過酷さを表現するために後から作られた、あるいは誇張された物語が多いのである。
 確かに沖縄人は過酷な自然と闘いながら歴史に翻弄(ほんろう)されつつも懸命に生きてきた。しかし、その要因を分析し未来に生かすためには、事実を積み重ねる冷静な目がなければならない。「絶えず被害者であった」として歴史を単純化してはならないのである。
 これからも、「搾取され続けた島」として同情を買うように沖縄の歴史を組み立てるのか、それとも事実を直視し向き合っていくのか。私たちの冷静に歴史を見る目が試されている。

(みやぎ・よしひこ)


朝鮮併合や満州建国において日本政府の持ち出しが多かったというのはよく知られた事実ですが、琉球処分でも同じように明治政府の持ち出しが多かったようです。「琉球処分」をテレビなどで解説する場合はなかなかそのような解説を聞くことはないでしょうが。

>これからも、「搾取され続けた島」として同情を買うように沖縄の歴史を組み立てるのか、それとも事実を直視し向き合っていくのか。私たちの冷静に歴史を見る目が試されている

この言葉を沖縄の識者、メディアが理解できて受け入れられるようになるのにはまだまだ時間がかかりそうです。
私たち一人一人がこの問題を真摯に考えていかなければいけないでしょう。
国際情勢の動きと沖縄の役割



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Posted by ヒロシ@tida at 10:16

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