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2016年03月30日

与那国島、自衛隊配備の、、、

3月28日与那国島に陸上自衛隊が配備されました
そして今日、3月30日のタイムスにはこんな記事が載っています。
与那国島、自衛隊配備の光と影 「防衛省から副町長」案も
沖縄タイムス 3月30日(水)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=160969&f=i
20160330タイムス自衛隊配備光と影

陸上自衛隊配備の賛否に割れた与那国町で28日、「与那国沿岸監視隊」が発足した。人口減少に悩み、行く末を自衛隊誘致で乗り切ろうと町民の多数が誘致を決めた。人口の15%を自衛隊関係者が占めることで、「自治が失われる」との不安の声と「活性化の起爆剤になる」と歓迎の声がいまだ交錯する。一方、政府は南西諸島の防衛強化の足がかりを得たことで、今後の宮古島・石垣への自衛隊配備に期待を寄せている。

■驚きを与えた人事案

「防衛省の30代男性職員を副町長に」。町議会の3月定例会で外間守吉町長が打診した人事案は野党議員に驚きを与えた。
 中央省庁の職員を地方自治体に派遣する「地方創生人材支援制度」。町の申請に、防衛省のみから職員派遣の内諾を得たという。
 野党議員は「役場のトップに防衛省職員を置けば、自衛隊の思い通りの行政になる」と反発。賛同のめどが立たず、人事提案は見送られたが野党の田里千代基町議は「自衛隊員の票で、今後は首長も議会も保守が握り続ける可能性がある。政治バランスが崩れ、自治のない島になりかねない」と警戒する。
 一方、外間町長は配備のメリットを強調する。税収3千万円アップ、隊員の子どもが転入し、複式学級が解消。消費活動の活性化にも期待がかかる。
 「企業参入や駐屯地の医務官との医療連携で、安心の島づくりができる。町民の不安を解消し、防衛事業や一括交付金を活用した新しい『自立ビジョン』を早々に打ち立てたい」と語った。

■政府「宮古・石垣に足場」

 「時間はかかったが、ようやくこの日を迎えられた」。部隊配備に計画段階から関わった防衛省関係者は感慨深げに語る。
 住民投票では41%が「配備反対」を示したが、「自衛隊は米軍とは違い同じ日本国民。海洋進出を強める中国の脅威は年々高まっており、必要性は認めるようになる」と地元の受け入れに自信をみせる。
 防衛省は宮古、石垣島にも陸自部隊の配備計画を進める。国にとって、与那国は南西諸島防衛強化の「試金石」だった。
 政府関係者は「足場ができた」と満足げに語り、「島民に迷惑を掛けず、島の振興に寄与するために何ができるか。与那国を成功させ、宮古、石垣のいい前例としたい」と力を込めた。(八重山支局・新崎哲史、東京報道部・大野亨恭)


光と影 と書かれていましたので反応してしまいました。

>自衛隊関係者が人口の15%になる与那国では期待と不安の声が交錯
>野党は「自治が失われる」と警戒
この2点は重要だと思います。
外国人の(地方)参政権と、外国人移民には賛成するメディアや識者が多いですが
自衛隊のことになると過敏に反応するんですね。
外国人の参政権と移民は大きな問題になりますので
自衛隊以上に反対をお願いしたいと思います。

何事にも光と影はついてまわるものですが
与那国島に自衛隊が配備されることに関しては一般住民であれば光と感じることが大きいでしょう。
一方で影が大きく感じられる方はどちらかというと日本人以外で日本に敵対心をお持ちの方なのではないでしょうか?

万が一に備えるのは国の役目で
そのために自衛隊の皆さんは日々努力されているんですね。

9年前の2007年3月30日、救急搬送のため那覇から徳之島に飛んだ自衛隊のヘリが墜落した日です。
天漢日乗 より
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/04/post_56b9.html

徳之島の救急搬送陸上自衛隊ヘリコプター事故
濃霧の中、救急搬送のために那覇から徳之島に飛んだ陸自のヘリが墜落炎上、四人の乗員が亡くなった。合掌。
読売より。

陸自ヘリ墜落4人死亡、急患搬送に向かう途中
 30日午後11時5分ごろ、陸上自衛隊101飛行隊(那覇市)所属の中型ヘリコプターCH—47(乗員4人)が、急病患者を搬送するため、那覇空港から鹿児島県・徳之島に向かう途中、同島北部の天城岳(標高533メートル)山中に墜落した。


 航空自衛隊の救難ヘリコプターや地元消防署員らが現場に向かい、31日午前6時15分、山中で大破・炎上したCH—47の回転翼などとみられる機体の残骸(ざんがい)を発見。その後、乗員4人も見つかったが、いずれも重度のやけどを負って死亡した。

 防衛省によると、乗っていたのは、機長の建村善知3等陸佐(54)、副操縦士の坂口弘一1等陸尉(53)、機上整備員の岩永浩一2等陸曹(42)、藤永真司2等陸曹(33)。

 墜落機は、30日午後9時50分に那覇空港を離陸し、徳之島で急患を収容して那覇へ搬送するため、当初は同島南側の徳之島総合グラウンドに着陸予定だったが、視界不良のため島北西部の徳之島空港に進路を変更した後、連絡を絶った。機体の残骸は天城岳山頂の約3キロ北東で見つかった。

 101飛行隊は、沖縄県内の離島などを中心に、自治体(県知事)の要請を受け、全国の部隊でも最多レベルの年平均300回前後の急患輸送を行っている。搬送要請があった急病患者は容体がいったん持ち直し、31日朝、改めて搬送を要請した。

(2007年3月31日13時0分 読売新聞)
搬送される予定だった患者さんは翌日搬送された模様だ。患者さんや付き添いの医療スタッフには何事もなかったのが不幸中の幸いだろう。

今回殉難された隊員の中には、定年間近な方がいた。
朝日より。

濃霧で迂回中に事故? 陸自幹部が見解 ヘリ墜落
2007年04月01日01時24分

(略)
 ヘリの機長だった建村善知3佐(54)は、墜落した徳之島町の出身。ふるさとの人命を救うための飛行中の事故だった。

 義兄の宮本邦宣さん(71)によると、建村さんは6人兄弟の末っ子で、小学校の途中まで町で過ごした。中学を卒業すると親族の反対を押し切って入隊。その後はパイロット一筋だった。何度も緊急患者の搬送に携わり、「この仕事はやりがいがある」と話していたという。

 奄美市に住む姉の柏田芳江さん(75)によると、建村さんの長男も3月に陸自に入隊した。「息子はおれ以上の隊員になるよ」とうれしそうに話していたという。

 「急患搬送への使命感が強く、操縦技術も確かだった。後進の指導にも熱心で、よく声をかけてもらった」と、第1混成団の後輩も死を悼んだ。総飛行時間4850時間(うちCH47は600時間)の熟練パイロットは7月の定年を控え、4月中旬には現場を離れることになっており、今回のほかに、当番はあと1回を残すだけだった。
まさに最後から二回目の出動での殉難。悪天候の中、なんとか患者さんを助けたいという思いを、不幸な事故が襲った。

今回殉難された隊員の知人と思われる人の書き込みがある。【事故】陸自の輸送ヘリ「CH47」が鹿児島・徳之島山中で墜落・炎上か 地元住民から110番通報スレッドより。

931 :ヘリ雄:2007/04/01(日) 00:36:58 ID:0nZbkdNY0
機長とは昨年まで仕事していました
送別会で「定年を前に101飛行隊で勤務できることを誇りに思う」と
 おっしゃていました
合掌

954 :名無しさん@七周年:2007/04/01(日) 15:58:35 ID:/H9wQILT0
>>931 

私は部外の人間ですが、木更津でも那覇でもお世話になりました。副長とは
先月、那覇でお会いしたばかりで・・・第2の人生も地元のスポーツ振興に
尽力すると笑顔で話していたのが思い出されます・・・自衛隊人生最後の
ミッションフライトで、しかも故郷の島で亡くなるとは・・・昨日から涙が
止まりません。コパイも機上員の方も優しい、いい人ばかりでした。

4人の遺体はフェリーで那覇で運ばれているところだそうです。喪に服し、
遠く内地より敬礼を。
離島ではヘリによる救急搬送は日常的に行われる。
琉球新報より。

急患搬送、06年度36回 離島医療厳しさ浮き彫り
 【徳之島で31日、稲福政俊】「事故が起こるまで急患搬送は当たり前だと思っていた」。ヘリが墜落した徳之島町の勝重藏町長は、伏し目がちにつぶやいた。人口2万7千人の島には心臓外科がなく、手術が必要な患者はほとんど急患搬送で島外の病院に頼ってきた。自衛隊機の墜落事故は、島の厳しい医療の現状を浮き彫りにした。
 「申し訳ない。申し訳ない」。記者の取材に勝町長は謝罪の言葉を繰り返した。「こういう痛ましい事故になって、初めて(急患搬送が)大変なことと知った。島民のことを考えると急患搬送をしないというわけにはいかない」。板挟みの心境を吐露した。
 徳之島町によると徳之島の徳之島、天城、伊仙三町で、2006年度は自衛隊による急患搬送は36回。月3回のペースだ。自衛隊のほか民間の定期便や船の搬送も含むと62回に上る。
 島で最も大きな徳之島徳洲会病院によると、島には心臓外科医がいない。心臓外科手術をする設備もなく、急患搬送のほとんどは心臓疾患の患者という。
 同病院によると、事故機で搬送する予定だったのは重篤の心臓疾患の患者だった。前日に不整脈が出るなど容体が悪化し、1週間以内に手術しないと8割方生存できないという状態だった。病院のセスナ機は機内が狭く、万一の時に心臓マッサージも施せない。小野隆司院長は「自衛隊への搬送要請は患者のことを考えた結果」と強調した。
 小野院長は「急患搬送は月に1、2回はある。いつもの搬送だった。そう特別なものではなかった」と振り返る。「医者として患者のことを第一に考える。悪天候とかの問題は自衛隊に考えてもらうしかない」と話す。
 小野院長は「病院の医師は実働3人。急患搬送で一人抜けるとカバーするのも大変。外来を午前一時までやっていたり、手術を3時まですることもある。医療現場や患者は限界だ」と訴えた。

(4/1 9:44)

徳之島は徳洲会病院を作った徳田虎雄の出身地で、病院もあるのだが、それでも医療環境は厳しい。
しかし、夜中の三時まで手術ですか。大丈夫なのだろうか。

続き。(16:40)
今回殉難された隊員のうち3人に取材をしていたASIANEWSの取材メモ。
 殉職「敵は天候・気象」2007年3月31日
http://www.asianews.co.jp/staff/akira/101/101.html

コメント欄より

亡くなられた隊員の方々にはご冥福をお祈りいたします。
私は徳之島出身者です。今から20年ほど前、当時小学生だった私は急性盲腸で島内では手術が出来ずセスナ機で隣の島に搬送された経験があります。今でこそ記事にもある徳州会病院がありますので手術などもある程度の対応は出来るかと思いますが当時は危険が伴う手術になると大きな病院がある奄美大島や鹿児島本土に搬送されることが当たり前でした。
現在でも一部の離島、過疎地では医者不足などの問題から医療行為が受けられない地域が存在します。
一日も早くどこでも平等に治療や手術が受けられる環境が整うことを願います。投稿: かずゆき | 2007-04-04 23:44


日本を守ってくれている自衛隊の皆さんに感謝いたします。



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Posted by ヒロシ@tida at 17:40

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